【 長島(ながしま 岡山県) 】


岡山県瀬戸内市にある長島(ながしま)を訪問しました。

長島には2つの国立療養所、国立療養所長島愛生園と国立療養所邑久光明園があります。

ウィキペディアには次の解説があります。
 ↓
1929年7月18日から日本初の国立ハンセン病療養所の建設が始まった。この際に、村有地や民有地の殆どが大日本帝国政府に買収され、従来からの島民居住者は居なくなった。
収容人員400名を目標にして1930年11月20日に日本初の国立ハンセン病療養所が開設され、翌年1931年3月3日に内務省告示第29号をもって、その名称が国立療養所長島愛生園と定まった。
ハンセン病患者の収容は1931年3月27日から始まったが、予定を超えて1943年には2,000人以上が収容されていた。また1938年には大阪府から公立らい療養所(外島保養院)が長島に移転し、1941年に国に移管され国立療養所邑久光明園となっている。こちらには、最盛期で1,000名のハンセン病患者が収容されていた。


(2014年4月18日訪問)
 
国立療養所邑久光明園です。
しのびづか公園です。
胎児等慰霊之碑です。
しのび塚です。
旧裳掛小・中学校第三分校(光明学園)です。
別角度です。
別角度です。
長島(ながしま)は2つの島から成り立っていますが、その間に掛かっている端です。
上の画像に写っている橋の上で北東方向(東側の島方向)を写しました。
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。
上の画像4枚のところ、ぐるっと映しました。

ユーチューブのURL → https://youtu.be/PHGtbVwLJwU
現在地にあった案内板です。
長島愛生園歴史館です。
入口です。
別角度です。
収容桟橋跡に来ました。
収容桟橋の解説です。
収容桟橋跡です。
収容桟橋跡です。
収容所(回春寮)です。
収容所(回春寮)、別角度です。
収容所(回春寮)の解説です。
監房跡です。
監房の解説です。

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